FC2ブログ

GR体験記

芦田やGRメンバーが皆さんに知ってもらいたい人・事柄を紹介することをメインとしたブログです。毎月1日更新。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

Social Leader Vol.4「地域福祉保健とアウトリーチ」    :保健師 門脇 裕美子様

Social Leader Vol.4「地域福祉保健とアウトリーチ」
:保健師 門脇 裕美子様

今回、宮城県の東松島市で保健師さんとして奮闘されている
門脇さんの活動を紹介させていただきます。
東松島市には3年前の震災でも甚大な被害があった地域です。
当時、精神保健と精神医療が連携して地域対応している
東松島市(東松島モデル)はすごいという話を偶然聞いて、
いつかお話を伺いたいと思っておりました。

門脇さんからは、非常に大変な現状と伺っていたのですが、
無理を言って、今回、受けていただきました。
そのため、今回はいつものインタビューではなく、
私が門脇さんのご発表を伺った
「第17回日本精神保健・予防学会 理念共有セミナー」
http://jseip2013.saitec.biz/
でのご発表スライドをお借りして、
私なりの見解をご紹介させていただきますことを、
ご了承ください。

kado1.png

門脇さんは、2000年東松島市(旧矢本町)に入庁されました。
12年間の保健師業務のうち、7年が「精神保健分野」で、
その精神保健業務担当の間に、
宮城県北部連続地震(2003年)、東日本大震災(2011年)と
2度の震災を経験され、
大震災後は、「児童福祉分野」へ異動されました。

kado2.png

「精神保健分野」「児童福祉分野」と2分野にまたがれども、
お話の本質には共通点があり、
門脇さんの取り組みから社会が得られるヒントとして、
「①アウトリーチ」
「②多様性(ダイバーシティ)への周囲の理解」
「③多職種での取り組み(もっと言えば、地域社会を巻き込んだ多面的な接点)」が
理解の鍵なのではないかと感じました。

kado3e.png

東松島市は、被災地の中でも甚大な被害を受けた地域で、
こうした非常事態の中、精神保健活動において、
「東松島モデル」が特徴的なのは、
震災支援で来られた精神科医と保健師、
そして、ケースワーカー(社会福祉士)とも
連携したチームによる訪問支援です。

「アウトリーチ」とは、文字通り「(支援側から)手を伸ばすこと」です。
行政や病院が、その性質上「自ら申請があった対象」や
「自分で病院に来た患者さん」に対して応じるというスタンスとなります。
でも考えてみれば、社会環境や病気が「大変になっている人」というのは、
そもそもいろいろな意味で余裕がない人や
様々な内外に横たわる障壁も多いわけで、
自分から取りにいこうにも、
「社会サービスを受けること」自体のハードルがその人には高すぎて、
結果、苦境の中から抜け出せない方も多数いらっしゃると思います。

被災者でもある患者さんのもとに、薬を届けると共に、
チームでもって直接訪問の機会を増やしました。
精神領域において、また、こうした非常時において、
地域に医療者側から出向いてくれる(アウトリーチ)と
いうのはとても大きく、
「患者さんの生活環境に訪問することの大切さ」と
「早期介入の重要性」を門脇さんは痛感されました。
直接訪問した際の「なんか変だな?」の感覚がとても大事とのこと。

kado4.png

事例として、避難所から「避難所の利用者で包丁を振りまわした人」が
いるという連絡を受けた時のお話を伺いました。
警察や入院措置をとる前にとにかく話を聞いてみようということで、
保健師の門脇さんと共に、精神科医、精神保健福祉士が避難所へ向かわれました。
どれだけの危険人物なのかと思って、
状況を当事者から確認すると、
当事者の方の気持ちもよく分かるものでした。

持ち物、家財、全部流された中、
一度はご本人も水に流されて命からがら逃げ込んだ出身校であった避難所から、
別の見知らぬ避難所に移される際、
恩師の方から、靴がわりにとスリッパを渡されました。
その方にとって、その小学校のスリッパは
「唯一の、かけがえのないもの」であったのですが、
その事情を知らない他の利用者の方から見れば、
ただの共用スリッパです。
誰かにそのスリッパを勝手に履かれてしまって、
孤独感の中で「唯一の自分の持ち物」まで盗まれたことに激高されました。
しかもそこで刃物を出したのはご本人ではなく、
その激高に驚いた弟さんの方が、
「お兄さんを制止すると共に、周りの方にも、
これ以上自分達に関わらないよう制止するために
果物ナイフを持ち出した」というのが真相でした。

家族や、付き合いのある近所であればまだ理解できることでも、
見知らぬ人との、さらに、お互いに余裕のない者同士での共同生活という
異常事態での出来事だけに、今、第三者の立場で冷静に聞けば、
その難しさがよく分かります。
訪問チームでそこでなさったことは、
そこの避難所からご兄弟を出すことでも、
何らかの薬を処方することでもなく、
精神科医から警察、保健師から避難所管理者へ
「このご兄弟が異常ではなく、事に至ってしまった経緯の説明」することでした。

そうしたところ、ご本人が自ら周囲の人達に
「怖がらせて申し訳なかった」と謝罪し、
周囲の人達もそれを受け入れたのでした。
その後はご兄弟の状況も落ち着き、
そればかりか、巡回に行く度に
「あそこにこういう人いるからこころのケアしてあげて」と、
保健師に支援が必要な人を教えてくるようになったのです。
そして、ご兄弟で避難所を退所された後、
仮設住宅に入られた際に、門脇さんが訪問したら、
例の果物ナイフでりんごを剥いてもらったそうです(笑)

kado5.png

「児童福祉」に移られてからは、
震災後増加傾向にある児童虐待への対応を門脇さんは行います。
保健師さんの業務として、主に虐待、
DV(家庭内・近親者暴力)のケースワークが多く、
近隣の「しょっちゅう泣き声が聞こえる」や、
学校「痣を見つけた。お父さんに殴られたと言っている。」といった通報から、
通告介入、養育の改善に向けて支援に入られます。

こちらの事例紹介はどうしても現在進行形のお話であり、
具体的に取り上げることは控えますが、
門脇さんが仰る「児童福祉」の難しさとは、
①保護者の意に反する介入であること
②夫婦間のDV、経済問題、子どもの発達障害等、
多くの問題が複雑に絡んでいること
③(母子保健、医療、子育て支援、保育、教育、司法等)
子どもに関わる支援機関は多岐にわたること
そして、
④支援者も感情が揺さぶられやすいこと
でした。

特に④について、衝撃的なエピソード、受け入れがたい子育ての仕方、
自分自身の生育歴からくる反応等、
「必ず自分の親子関係が揺さぶられます、刺激されない人はいません」
というお言葉に、実際に経験されている方だからこその言葉として、
このお仕事の大変さがピンときました。
正直、自分自身で想像しても、
「①必ずしも相手から求められているわけではない」状況の中、
アウトリーチの強い気持ちで、②~③にプロとして必死に立ち向かおうとしても、
気持ちを入れた分の反動もあって、
④で素の自分自身に重さが降りかかってしまって、
崩れてしまいそうな恐怖を感じました。
「人の支援をする前に、一番大事なのは、チームを組む、
自分たち自身の感情を理解すること」という門脇さんのお言葉に、
その困難に立ち向かわれている方ならではの実感が伝わりました。

一件一件の案件が複雑で、繊細で、エネルギーが要求される中、
たくさんの部門間での調整が必要でもあり、
そこに震災で地域住民が抱える課題が増加して、
ますます、地域の子育て支援力は低下する難局にあるそうです。

私なんかがそうですが、「人に分かってもらえない」文句はよく言いますが、
「人の状況・感情・気持ちを理解する・共感する」のは、本当に大変。
さらには、「相手から求められてから分けてあげる」のではなく、
「自分から相手を求めるアウトリーチ志向」、
「自分自身の気持ちが揺さぶられて落ちないだけの強い心」・・・
結局、「勇気を出して心の窓を開けつつも、
自分の心を傷つけない冷静な心の強さ」が求められていると思います。

これらは、なにも職業としての取り組みだけではなく、
我々の日常での心構えとして、とても重要なことなのではないかと思い、
今回、取り上げさせていただきました。

門脇さん、貴重なご経験を紹介してくださり、本当にありがとうございました!

自分がどこまでできるか自信はないけれど、
それでも、GRなりの社会への「アウトリーチ」を心がけたいと改めて思いました。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
※最後に
震災からもうすぐ3年。たくさんの方が同様に感じられていると思うのですが、
気持ちはあっても、被害をうけた方々に対し、
今、具体的に何かをできるかと言われると、なかなか難しいところがあります。
悩んでいる方も多いと思いますし、零細企業であるGRにしても同様です。
ですからあまり格好いいことは言えませんが、一つだけお約束できるのは、
これからも、ずっと「何ができるか」考え続けるし、ささやかであっても、
具体的な活動を続けていくことは間違いないという確信があります。

それは自己満足かもしれないし、個人個人の方々に対して
なんの実感も得られない活動でしかないかもしれませんが、
我々に限らず、たくさんの方々が
同様に何かのお役にたちたいという気持ちでいることだけは、
ここに伝えさせてください。
スポンサーサイト

Social Leader Vol.3 「患者の権利」と「子ども療養支援士」 :弁護士 平原興先生

Social Leader Vol.3
「患者の権利」と「子ども療養支援士」
弁護士 平原興先生

今月は、インタビュー第3弾で、なんとGR1号の高校時代のバンド仲間の登場です。
平原興先生は、弁護士としての多忙ななか、
医療分野や「患者の権利」について真剣に取り組まれており、
特に、最近は、「子ども療養支援士」創設を目指して、
積極的に支援活動をされています。

平原先生から、我々も1病院の視点だけにとらわれないで、
さまざま立場から社会の向上のためにどうあるべきか、
イメージを豊かにしていく必要性をあらためて感じました。

※内容は伺った時のお話に基づいて編集しましたが、
一部、紙面の都合上、改編・加工させていただいております。


平原興先生
<ご略歴>
・弁護士
・1973年生まれ
・一橋大学法学部卒業
<埼玉弁護士会活動>
・人権擁護委員会副委員長
・子どもの権利委員会副委員長
<日弁連活動>
・人権擁護委員会委員

<参考URL>
http://www.okura-law.com/profile_h.html
http://blog.livedoor.jp/bengoshiretsuden/archives/51386276.html
※今回、紙面の都合で取り上げられなかった生殖医療についての見解なども読めます。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
GR:
いやぁ、平原先生、こんな形でお話が聞けるとは!(笑)
全然違う人生を歩んでいるはずなのだけれど、
なぜだか医療というフィールドで再会するって、
すごく不思議な感じだよね。
少し、焦点からずれるかもしれないけど、
君がどういう人生を送る過程で、弁護士というお仕事を選んで、
そして今、その中で君が力を注いでる仕事とは我々にとってどういうものなのか、
いろいろ伺いたくて、時間をいただいた次第。

平原興先生(以下略称 平原):
確かに奇遇だよね。
同じバンドで、俺がドラムで、芦田(GR1号)がベースと、
高校時代からもうちょっと息があっていれば、
もっといい演奏できたかと思うけどね(笑)

sin_1
※22年前の我がバンド "Sin"

sin_2_hirahara
※若かりし頃の平原センセ

sin_3b_ashida
※若かりし頃のGR1号

GR:
当時、現役で大学の法学部に入った時は、
なるほどというか、君らしいなとは思ったけれど、
元々、司法系の志望だったの?

平原:
いや、医学部志望だった。
中でも、精神医療とかに興味あったかな。
でも、自分で思いつめるというか入り込む性格だったし、
周囲からもあまり合わないんじゃない?って声もあって、
法学部に入ったという感じ。

GR:
へーそうだったんだ。で、在学中に司法試験受かっちゃったわけでしょ?
最初から、検事や裁判官ではなく、弁護士志望だったの?

平原:
在学中と言っても留年してるから・・・。
まあ、それはおくとして、当初、自分にとって、
状況を客観的に見られる立場である裁判官がいいかなという気持ちもあったんだ。
でも自分は「死刑判決は書けない」なという思いと、
人と会うおもしろさというのを感じて、弁護士の道を選択した。
今となっては、裁判官として、
徹底的に「死刑を書かない」説明を社会にするという道も
ありだったかなとも思うけどね。

■■■ここから30分、死刑を巡るGRの質問に平原氏が答える状況。
全てをうまく書ききれないのですが、印象に残ったのは、
「死刑囚であれなんにせよ、国家が社会の構成員を抹殺するという形で、
除去することで解決というのは無責任ではないか。」という話と、
「国家というのは、時代で意思が変わる他人の集合体でしかないわけで、
そこに人を殺してもいい権限まで付与するというのは、
出発点として自分は怖い。」という話。
確かに、今の国家が大丈夫だから良いという話でもないような気はした。■■■

GR:
で、さっき聞いたけど、就職してから、ずっと同じ事務所でやってるんだよね?
専門は「医療」というカテゴリーになるのかな?

平原:
うん、事務所はずっと一緒だね。ただ、
通常の仕事は「医療」専門ってことはなくて、
日本弁護士連合会(日弁連)の医療部会に属して活動している中で、
いろんな医療に関する問題に取り組むようになったんだ。

今は、患者の権利の法制化が中心テーマと思っているけれど、
小児の療養支援士や、性同一性障害を含めた性的少数者の問題の
きちんとした勉強とかをもっと力を入れていきたいなと思っている。
ほかにも、細かくテーマをあげると、
生殖補助医療、死因究明制度、医療事故調査制度(医療安全調査委員会)、
終末期医療といったテーマについても検討チームなどに参加しているよ。

GR:
やっぱり忙しそうだねぇ。

平原:
これ、本持ってきたから、あげる。

といただいたのが、日本弁護士連合会人権擁護委員会編による
「提言 患者の権利法 大綱案」
http://www.akashi.co.jp/book/b128209.html

第1章 患者の権利に関する法律大綱案の提言
第2章 患者の権利をめぐる経緯
第3章 ハンセン病問題
資料編 プレシンポジウム報告
と3章構成のうちの第3章はハンセン病問題に占められていた。

平原:
ハンセン病問題に対しては、
弁護士も含めた司法もこれを放置していたものとして、
反省しなければならない問題だと考えているんだけれど、
その中で再発防止の柱の第一が「患者の権利の法制化」とされていたんだ。
ハンセン病の隔離政策のような事態を繰り返してはいけないという「反省」からも、
弱い立場に陥りやすい患者の権利をきちんと確立することが必要だと思うし、
その指摘が患者の権利を法制化しようという動きを
大きく進めている力になっていると思うんだ。
そんなあたりを考える上で、是非読んでもらえれば・・・。

GR:
「ハンセン病」の問題は、深刻な人権問題だと思ってきたけれど、
それを反省として、意義のある動きが生まれてもいるんだね。
で、その話の流れから、
が「子ども療養支援士」制度創設を応援している意味が少し見えてきた。

平原:
正しい説明や詳細は、子ども療養支援士協会のホームページとか、
http://kodomoryoyoshien.jp/
順天堂大学の田中恭子医師とか専門家の話を聞いてほしいけど、
http://www.aiikunet.jp/exposion/manuscript/26.html
アメリカではチャイルド・ライフ・スペシャリスト(Child Life Specialist以下CLS)、
イギリスではホスピタル・プレイ・スペシャリスト(Hospital Play Specialist以下HPS)
という役割が病院にあってね、しっかりとした資格制度にもなっている。

要は、入院という「療養」における子供の権利を代弁したり、
専用の人形とかの専用器材なんかも使いながら、
「なぜ自分が手術を受けなければいけないか。」を納得して、
遊びながら子供が治療などに主体的に取り組めるように
環境を整えるというものというのが僕なりの理解かな。

GR:
子ども療養支援士のサイトとかでよく見る「プレパレーション」ってさ、
「子どもの発達段階や個別性に配慮しながら、
自分の課題(治療その他)に主体的に取り組めるように環境を整える」とあるけど、
要するに、「注射を嫌がる子供を励まして、
痛いのによく我慢できた子に対して母親のように抱きしめたりする」
ことなのかとか、そんな理解で合ってる?

平原:
ちょっと違うかも(笑)
この注射のケースの形とか、手術を迎えた子供だったら、
おもちゃの診察道具・注射道具なんかを使いながら、
まず、注射や手術の意義を納得してもらったり、
子どもの内面にある自らの感情表出も促し
(何が怖い? 不安? 誤解を訂正する)ながら、
これから起こる治療や検査に対して、子ども自身が理解し、
安心して臨めるよう手助けをするという感じかな。

ある意味、子供の成長過程に合わせて、克服を促すのを、
専門の立場の人が関与するというかね。
そういう意味で、療養支援士という立場は、
「母親」の代替ではなく、子どもの側に立った
プロフェッショナルという見地から子供をサポートしたり、
療養環境改善に努力し、
患者家族と一緒に力を合わせていくイメージなのかもしれないね。

GR:
我々、外の人間から見ると、ソーシャルワーカーの方とか、
子ども病院とかに配属されている保育士さんとかとの役割の違いや、
看護師さんが看護の視点で病棟を見ている中での必要性って、
なかなか見えにくいところがあるよね。

平原:
うん、正直、自分もどこまできちんと理解できているか
わからないところもあるけれど、
例えば、看護師さんや医師は、基本、医療やケアを行う立場から、
患者さんに対する役割になると思うけれど、
子ども療養支援士は、受け手の子どもの側に立って、
内面の不安や感情を捉えてフォローしていったり、
その入院中の療養環境を整えていったり、
傍らにいて子どもそのものを支援するというイメージかな。

ソーシャルワーカーや臨床心理士とも
重なる部分もあるのかなとも感じるけれど、
こども療養支援士は、やっぱり子どもに関する専門、
「病気や障がいを持つ子どもの成長発達を支援し、
入院や治療にまつわるトラウマを軽減・緩和する
精神的なサポートを行う」ことに特化して、
スキルを学問的にも身に着けた人ということになるかな。

GR:
今、こども療養支援士の日本での普及度合いって、どうなの?

平原:
CLSやHPSの人たちを含めても、
やっぱりまだまだもっと存在から
知ってもらわないといけない段階なんだろうと思う。
でもさ、「病院なんだから、子供もおもちゃを
もってきちゃいけない」とか言われると、
一見しょうがないことだというイメージも持っていたんだけれど、
それって、なぜなのだろうと。

おもちゃの共有が感染元になるという話なら分かるけどさ。
まあ、おもちゃはそこまでいわれにないにしても、
たとえば、入院中、遊べる場がないとか、
家族と一緒にいられませんとか、
「病院だからできなくって当たり前で、そこで終わり。」としないで、
「それが、病院の都合なら、工夫しよう」とか、
「病院と子供の希望の間に立って調整を提案しよう」みたいなことを
考える役割があるのはいいなあというのを素朴に思うんだよね。

僕らが「患者の権利」を大上段に振りかざすと、
病院の方々は身構えるだろうけど、
「患者の権利」って、そもそもは療養支援士の視点などから
考えていくのもありだと思うんだ。
病気だから、患者だからって、なんでそれが制約されるのっていう部分を
どうやって解消していくかというのが大事なことだと思うし、
それを子どもの側にいる療養支援士のような、
暖かいイメージで捉えてもらえれば、
決して対立的なものを目指すものじゃないのが
わかってもらえるんじゃないかな。

GR:
今日はありがとう。子を持つ親の立場からしても、
客観的な立場から考えても、多感で成長段階にある子どもに、
「長期入院」や「手術」という非日常なイベントや、
「人と自分が違う」という障害や後遺症に対して、
うまく子どもたちが自分の中で「消化」できるよう
手助けできるプロがいるという「保険」は、
社会として、素晴らしいことだと思う。

それに、子どもって、すごくいろいろ感じているんだけど、
それを外で折り合いをつける「表現」する術が、
どうしても大人並みにはいかないからね。
そこの代弁者という定義がはっきりしている立場が確立するのは、
確かに「人権」として一つ大事なことなのかもしれないと思ったよ。

平原:
ひとつひとつ形にしていくのは大変だし、
主に、患者を代理する弁護士という立場上、
医療関係者との関係で、時に対峙するような考え方に
なってしまうこともあるけれど、
社会というか医療を良くしていきたいという意思については、
同じだとも思っているよ。

■■■そんなまとめもしきれない中、
お店から「お客さん、お席の時間が大幅に超過してますよ!
と追い出されてしまいました・・・(笑)■■

prf_hirahara
※慌てて、当日、写真も撮らず、後日、拝借・・・

Social Leader Vol.2 笠井先生から「社会と学の両立」という意識について、学んだ。

Social Leader Vol.2
笠井先生から「社会と学の両立」という意識について、学んだ。
東京大学医学部精神医学教授 笠井 清登先生

今月は、インタビュー第2弾です!笠井先生から、研究者として、医療人として、社会人として、それらが一元的につながるなにか本質的な部分を、学ばせていただいたように思います。先生、ありがとうございました!

※内容は伺った時のお話に基づいて編集しましたが、一部、紙面の都合上、改編・加工させていただいております。

参考URL
笠井 清登教授ご略歴
http://www.h.u-tokyo.ac.jp/soken/5uni/etc/neuropsychiatry.html
統合失調症と向き合う(JPOP-VOICE)
http://jpop-voice.jp/schizophrenia/i/0907/01.html

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
<GR>先生、今日はよろしくお願いします。ご自身と精神医療を重ねていくために、まずは、「笠井先生が精神医療をなぜ目指されたのか」という、先生の過去について、少しお話を伺えますでしょうか。

<笠井先生(以下、先生)>はい、元々、私の父は技師として人工衛星に携わっていましたし、母は専業主婦と、いわゆる「医師家庭」ではない環境で育ちました。自分では、そうですね、小学校の中学年ぐらいまでは、学校生活などでも不器用で飲み込みが悪くて、自分自身、ちょっと「遅れている子供」なのでないかと思っていたりして、学校でもそれほどいじめられているわけはないけれども、どちらかというと活発な子ではない側の存在であったかと思います。
そんな中、普通級に障害を持つお子さんが在学することがあると思うのですが、そういうときに寄り添い者みたいな役割を自然に受け持つところが、自分にあったりしました。高校生の時、将来の職業を考えていった時、周囲からも「お前は人の話を聞くのが得意だから精神科医が向いているのでは」と言われたり、自分でも子供時代の背景からそこに適性を感じていたので、ここで精神科医を志望するようになりました。

<GR>そうすると、笠井先生は、高校生の時から、医師になろうというよりも、精神科医になろうという志望で進路を選ばれたのですね。ある意味、まっすぐなご人生ですし、確かに、笠井先生を見ていると、「医師」という印象だけではなく、「精神科医」という印象を私も持っていることに気づきました。先生、そういう意味で言えば、ここまで、学生時代に想定された道をそのまままっすぐ歩かれているというご自身の印象でしょうか?

<先生>そうですね。高校時代に精神科医という道を選んでから、もちろん、苦しさはあるけれども、後悔はない人生と言えますね。また、出発点が今申したようなところにあるので、精神科医として強いといえば強いかもしれません。普通の家庭に育ってきた分、また、自分自身がいわゆる健常とは少し違うという自覚をもち、障害を持つ方の寄り添い者として自らの存在意義を感じていた分、そこと医学者としての立場との「つなぎ役」といいますかね、調和をとるための「調整弁」みたいな役割も自分にあるのではないかと思っています。

<GR>ミーハーな言い方で恐縮ですけど、「東大医学部卒→ハーバード→東大教授」と、アカデミックとして漫画みたいな(笑)ご経歴なのに、先生って何も飾られないし、臨床家である医師としてのお立場も大切にされたり、精神医療に関係ない分野へのご興味といいますか、学内外で、精神科から外の世界に自ら出られて、社会全体を巻き込みながら精神疾患の患者さんの治療環境をもっと良くしていこうとされているご姿勢がはっきり分かるんです。それだけではなくて、これだけ柔らかい物腰で現場主義なのに、心の中にある「剛」の部分といいますか、研究者として、また東京大学の精神科教授としてのお立場からも大局的にものを捉えられていて、人生の先輩としてすごい人だなぁとか、知り合ってからちょっとしかお付き合いはありませんけど勝手に思っています(笑)

<先生>ハハ、「アカデミズム」による客観性と「市民・社会活動」のような主観性の両立も大切ですよね。

<GR>笠井先生は、震災支援といい、他にも大学の活動に留まらずに、社会に対して色々な働きかけをなさっていますよね。

<先生>私だけの活動ではなく、たくさんの方が携わることで成立しているものですが、私の中で、大きく3つのテーマがあって、
1.市民におけるメンタルヘルスリテラシーの向上をはかる
2.コミュニティにおけるメンタルヘルスの科学的根拠を見いだす
3.メンタルヘルスがとけ込むコミュニティをデザインする
があります。

1.市民におけるメンタルヘルスリテラシー(正しい精神医学知識)の向上をはかる
については、やはり、精神医療をもっと、多くの人が身近なものとして考えるべきで、私としては、将来的には中学校の「指導要領」の中にも組み込まれるべきだと思っています。そのために、東京都などで、中学校の保健体育の授業で使ってもらえるよう、こころの健康をテーマにした副読本作成を進めています。

2.コミュニティにおけるメンタルヘルスの科学的根拠を見いだす
については、思春期のお子さんの心の成長過程とそれに与える要因を客観的に把握し、教育や施策に生かすためのコホート研究を、世田谷区、三鷹市、調布市の協力のもと進めています。印象論ではなく、科学的根拠にもとづいて、コミュニティ精神保健を進めていくことが重要であるからです。

3.メンタルヘルスがとけ込むコミュニティをデザインする
については、東大病院精神科が東日本大震災にともなうこころのケア活動を東松島市で長期的に行ってきた経験から、保健師が地域住民の精神保健状態を平時から把握することが災害時のコミュニティ精神保健にも重要となるモデルを広げていきたいと思っています。自分自身が住んでいる自治体においても、こころの健康に関する区民会議などに参加してメンタルヘルスがとけ込むコミュニティデザインに貢献したいと思っています。精神障害を持つ方の就労にも関心を持っており、日本理化学工業の大山泰弘さん(注1)などから学びたいと考えています。

こうした言ってみれば、病棟や研究室を離れた、コミュニティにおける精神保健も、両輪の片側として、とても重要だと思っています。

<GR>なるほど、こちらは、片輪なわけですね。

<先生>もう片方である、学問的にもですね、精神科領域というのは注目されつつあります。従来の脳科学は、精神機能を知るには、まず遺伝子を知らなければいけないという、還元主義的アプローチを進めてきました。しかしながら、精神機能は、自分自身の脳機能を制御し、それを通じて、神経回路、分子、ひいては遺伝子発現を変化させます。このような精神機能と脳機能の双方向性モデルが、今後の脳科学的アプローチの主流となるでしょう。

<GR>ここは、アカデミックな部分ですね。先生が仰っていた「社会の成熟」と「学問としての精神医学の進化」の両輪が大切だと仰っていた意味とつながってきました。

<先生>学術的な深化や人材育成といった「アカデミズム」と市民活動といいますか「社会環境の整備」というのは、どちらも両立させることがとても大切で、どちらかに偏ってもいけないと思うのです。そういう意味でも、公衆衛生学の方だけでなく、臨床家である私達も関わることで、その二つのつなぎ役としての役割を担えればと思うのです。

<GR>医師であり、教授でもある笠井先生が、一般社会にも働きかけをなさっている意義が良く分かりました。最後になってしまいますが、先生、一般の方・・・という言葉が適切かどうかも分かりませんが、現在、「精神疾患」を患っていない方々といいますか、漠然とした「社会というもの」に対して、精神医療の現場としてのメッセージをいただけますでしょうか。

<先生>一つは、精神疾患の薬物療法に対しての偏った世間のイメージについてです。いわゆる、「精神科に通うと薬漬けにされる」というイメージのことで、現状は、薬に対するネガティブなイメージが先行している感がどうしてもあります。患者さんが、自分の判断で、薬の服用を中止して、症状が悪化する原因の一つにもなります。世の中の精神科医全てが、薬の処方を安易に出し過ぎていないとまでは言いませんが、適切でタイムリーな薬物療法(と精神療法、生活支援の組み合わせ)によって、脳機能の変化を通じた精神機能の改善を日々経験している医師としては、脳と生活のバランスモデルを提唱したいですし、世間の報道として、一部の事例から精神科の薬全体を悪であるとする印象にもっていっていただきたくなく思います。

二つに、精神病患者さんへの偏見についてです。たとえば、精神疾患の既往歴を持った方が犯罪を起こすと、ニュースではそのことにたいてい言及しますが、精神疾患を持つからといって、一般の方より犯罪率が高いわけではありません。こうしたマスコミの報道も、社会での差別を助長している一因でないかと思うのです。

最後に、精神疾患は皆さんが思っている以上に多く、なんらかの精神疾患になる確率は約25%、すなわち、4人に1人というデータがあります。これに認知症を加えたり、介護者として関わる方々のデータを入れれば、すごい数の方々が、一生のうちどこかで精神疾患に関わるといえるでしょう。

<GR>精神病の話を他人事と捉えない、いつでも、自分の身の回りで起こりうる話だという認識を、我々が持つところから理解を始めるべきですね。本日は、お忙しい中、本当にありがとうございました。

東京大学 笠井先生

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

【注釈】
(注1)大山泰弘氏
日本理化学工業株式会社会長。ベストセラー「日本でいちばん大切にしたい会社」でも紹介され、 工場で働く半数以上が障害を持っている方を雇用している企業としても有名。
http://www.visionet.jp/biginterviews/ooyama/


Social Leader Vol.1 三浦さんから「逆境や変化との向かい合い方」を学んだ

Social Leader Vol.1
三浦さんから「逆境や変化との向かい合い方」を学んだ
南三陸わかめ漁師:三浦保文さん

三浦さん近影
新春第1弾として、ついに、インタビューが始まります。

GRがブログを立ち上げた主旨の一つなのですが、当ページで「GRが社会に紹介したい方々」を取り上げさせていただきたいと思います。震災だから、漁業だからではなく、リーダーとしてアントレプレナーとしての普遍的な何かを学ばせていただいたように思います。
先の震災で被災され、数々の逆境に対しても、持ち前の論理力と行動力で、大森わかめ生産組合を引っ張っられ、志津川漁協全体にも波及するぐらい、大きな成果をあげられた「人生に対するご姿勢」から、われわれ漁師ではない立場の人間にとっても共通して大切な何かを感じました。

※編集の都合上、実際にお話いただいた際の文体から変わってしまっておりますが、内容は伺った時のお話に基づいて編集したものです。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

<GR>「三浦さん、今日はよろしくお願いします。まず、自己紹介といいますか、現在のわかめ漁に至るまでの経緯を教えていただけますか?」

昭和26年、南三陸町生まれです。
父はマグロ船の船長で、地元の志津川高校卒業時、私は役場での就職も考えましたが、長男ということもあって、父と共にマグロ船に乗りました。12年続けましたが、200海里漁業水域が設定されたことで、域外(日本国外)でのマグロ漁が禁止されたこともあって、仕事が続けられなくなりました。

船主さんの投資の下、父と共にその頃 勃興期であった「銀ザケ・ます」の養殖を始めました。始めた当初は、爆発的な収益となったのですが、18年やっている間に、チリ・ノルウェーなどの海外にも養殖方法を指導したりしていたら、価格競争に巻き込まれたり、不漁の年に販売チャネルを海外に奪われたりしました。年々厳しい採算となったため、そこで再び、「わかめ」の養殖と「釣り船屋」に商売を鞍替えしました。

<GR>「大きな転換を何度かご経験されているのですね。三陸わかめは、現在、素晴らしいブランドとして確立しているわけですが、そんな折に今回の大津波があったのですね。」

我が家の集落は高台にあって地震の後は、集落のみんなで海が見えるうちの前の畑に集まっていました。当初はまさかここまでと思いましたが、ふと港に到達しつつある波を見ると、水門に匹敵する高さがあるのが分かりました。瞬時に水門が隠れる高さ(約10m強)ということから、今いる場所の危険性に気付き、集落のみんなで慌ててさらに上へと逃げました。90歳になる母の手を引いて避難する時、我が家のほうからバリバリバリとすごい音が聞こえてきましたけれど、とても振り返る気になれませんでした。先ほど話した商売もそうですし、チリ地震の際も我が家は被害を受けているので、その時は「あぁ、またやり直しか。オラの人生は、こんなことの繰り返しだなぁ」と思ったのを覚えています。

<GR>「日常生活を送られていた自宅を破壊される、それは、私たちからは簡単に察すことのできない厳しいご心中であったかと思います。でも、震災直後から、わかめ漁のリーダーとして、常に、周囲を先じて実行されるご姿勢はお見事でした。三浦さんと初めてお会いしたのは、震災の年の11月でした。当初、他の漁業はもちろんのこと、わかめ漁でも他の地域の復旧目処が立たない中、70%の復旧を目指されているんだとお話しされていたのを覚えています。実際、その年の収穫はいかがだったでしょうか?」

はい、現在、南三陸町の漁業全体の水揚げ量は、通常の3割から5割程度と苦戦をしておりますが、皆さんのご支援のおかげで、ことわかめ漁に関しては、金額にして昨年実績で通常の150%を達成しました。

<GR>「驚(!?)」

これは、供給減を見越して買い取り価格が高値で推移しつつも、例年並みの生産量を実現できたことが大きいです。
先に話した銀ザケ養殖の時は、この地域が不漁の時、一気に販路を外国や他の地域に持っていかれてしまったのですが、供給に穴を開けなかったため、南三陸としての販売チャネルを守れたことも大きいでしょうね。

<GR>「現在の状況を少し伺えますか?」

昨年は、買い取り価格の高騰もあって非常に事業としてはうまくいったけれども、今年も、例年並みの収穫を予想してはいるものの、この先を見越して、水産庁が整備した復興支援事業「がんばる漁業」を積極活用しようと考えております。これは、グループ単位で申し込んで、自分達で得た収入を一旦国に預けるけれども、備品代やかかった経費や、例年の実績に基づきながら、売り上げではなく給料という形で、国からいただけるという制度です。昨年は昨年、今年は今年で、この機会に、将来に繋がるべく、土台をしっかりとさせていきたいと思います。

<GR>「先を見越した決断ということですね。考えてみれば、震災前から、漁師の高齢化や、激化する国際競争の中での非効率性などが問題になっていました。」

例えば、ノルウェーとか外国なんかだと、国の指導でみんながまとまって技術革新なんかをしていくのですけれども、日本の漁師はずっと個人でやってきた人が多いものだから、なかなかみんなでまとまって何かを決めるというのが苦手だったりします。
 
水産庁の「がんばる漁業」事業を見ても、国は個人よりもグループ単位での支援を進めているのがはっきり見えました。世代交代にしても、個人ではなく、その漁場でのグループ単位で譲り合いができると考えれば、悪い話ではないでしょう。なにより、国際競争が激しくなってきた今、リーダーは年功序列じゃやっていけなくなってきた。私自身、漁師でリーダーになる人は、本屋に行って、「ビジネス書でも読め」と言っているし、月刊誌で養殖に関する最新情報が分かる業界誌まであるのですよ。

「漁協同志で競争しながら、他の漁協よりも早く有利な状態を作れるかどうか」、震災を契機にそんな雰囲気が明確になってきたのは大変だけど、技術革新のスピードアップや資源の効率活用を考えれば、必ずしも悪いだけの話ではないと思っております。

<GR>「これからさらに、志津川漁業、三浦さんはますます、進化を遂げられそうですね。これからも、人生の荒波を三浦さんがどう乗り越えていかれるのか、学ばせていただきたいと重います。ぜひ、今後ともよろしくお願い致します。本日は、ありがとうございました。

カキ仕分け風景

【写真】12月に芦田が伺うと、わかめの種付けは完了。今は、カキの収穫真っ盛りでした。今回、自分は参加できなかったけど、ボランティアの方々も収穫作業で活躍されていました。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
<参考資料>
わかめ漁
http://united-earth.jp/minamisanriku/2012/03/post-222.html
東芝さんの新人研修
http://www.toshiba.co.jp/csr/jp/highlight/2012/revival02.htm
水産庁 頑張る漁業
http://www.jfa.maff.go.jp/j/budget/23_hosei/pdf/set2-1_2.pdf
http://www.jf-net.ne.jp/fpo/gyoumu/hojyojigyo/08hukkou/kyotu_file/20111128_1gyogyo_tebiki.pdf

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。